屋敷神の木
昨年5月1日に「横の動き」でお知らせした、風で倒れてしまいそうな、そのためワイヤーで倒れないように処理をした屋敷神(やしきがみ)さまのモミの木を、倒してきました。
かなり狭い道しかありませんが、なんとかラフターが入りそうな気はするし、お施主さんはクレーン利用もOKとのことだったのですが、残念なことに信頼関係にあるクレーンオペレーターがいないため、ひとりでテッペンから切りつぶすことにしました。
今回、最初から倒してしまわなかったことには、所有者側のいろいろな考えがありました。そうしたことも含めて、話を聴くうちに、地域のことも教えていただいたり、作業中のお昼、お宅にお邪魔することで、村の基幹産業に関するさまざまな展望をうかがったりで、とても濃密な時間をすごすことができました。
確認できたところまでで98本の年輪。30m近い木の命を、ひとつ止めました。神様に無事完了したことのお礼をのべ、現場をあとにしました。
そろそろ、クレーン屋さんとも仲良くならなくてはいけませんね。。。
コメント
Posted by: いつき [ 2011年2月 2日 22:02 ]
御無沙汰しております。いつきです。
「木の命をひとつ止めました」重いお言葉ですね。
木は材になっても生きていると、木工の匠の方々は口を揃えたように仰います。
生活の中ではつい見過ごしてしまいがちな「木の命」、伐った後は材として何かに活かせると良いですね。
Posted by: かなめ [ 2011年2月 4日 18:51 ]
いつきさん、お久しぶりです。コメントが遅くなってすみません。
この木、材にして生き続けてもらいたかったのですが、途中に腐りが入っていることも手伝って、すべて熱源になる予定です。ひと玉いただいてくれば良かったですね。もしもご希望でしたら、これからでもキープしておきますので、連絡をください。
いつも言うことですが、木はそれ単体では存在していません。そこに宿る幾千万の命も含めて、引導を渡す仕事は、宇宙の破壊者のように思えます。
ご存知のとおり、モミは切ると形成層の下あたりからヤニがバンバン染み出してきます。この日、駅まで迎えに行った車の中で、娘から「木の匂いがする」と言われました。ヤッケにヤニがへばりついていました。