入会権について
入会(いりあい)という言葉、この村にIターンしてこなかったら一生口にすることはなかったと思います。
正確な定義を勉強していないのでいけないのですが、私の中では「その地に暮らす人たちが共有するする"もの"や"権利"」というふうに理解しています。
この"入会"を守るための闘争を扱った映画「こつなぎ 山を巡る百年物語」のことを、当ページに度々コメントしてくださる方のサイトで知りました。そして7月25日に長野県松本市でもこの映画を観ることができるとのこと。今から楽しみにしています。
上映を肴に松本で一杯やりましょうという企画が着々と進行中です。
正直に言うと、感性が鈍く、ヨソから村に入った私のような者には、まったくピンと来ない概念だったために、何年もの間この言葉が出てきても、たとえば入会を扱った論文に出会ったとしても「それがどうしたの?」という程度のものでしかありませんでした。
大きなお世話かもしれませんが、コミュニティーがほとんど崩壊してしまった都市部から田舎に移住して、以前の私と同じように、この"入会"という言葉にピンと来ない方は要注意です。あなたは単にコミュニティーに参加できていないというだけでなく、たいへんな迷惑要素、言い換えれば出て行ってもらいたい人になっている可能性が高いと、私は勝手に感じます。
つまり何を言いたいかというと、入会とはそれほどに未だに地域の人々の暮らしの基底をなしている重要な作法であるということです。ある種、"ひとりひとりの生命"であるとか、"家族"と同じくらいに普遍的なものなのです。
コメント
Posted by: つうくん [ 2010年5月31日 18:55 ]
かなめさん
情報アップありがとうございます。
入会権、おそらく多くの人は、”にゅうかいけん”と読んでしまうのでしょうね。
入会という土地所有の概念は西洋にはないので(だから法律でくくることができないのでしょう)、中山間村で暮らして、この地を守っていくため、大切にしたい日本人の思考ですね。
上映会楽しみにしています。
Posted by: かなめ [ 2010年6月 1日 07:58 ]
”にゅうかいけん”ですか。たぶん私もそのように読む一人だったろうと思います。
でも、村暮らしをするずっと以前に、どこかで耳にしていた言葉なのです。それが
どこなのか思い出せません。
西洋にない土地所有の概念、とは初耳でした。なんだか不思議な気がします。
でも、国は違っても、大抵の田舎には必ず地域社会で共用するものはあるはず。
もしかするとそれは、この国の入会と違い、権利と義務の関係が明確にされて
場合によっては数字でガンジガラメになっているのかもしれませんね。
「入会」は制度であると同時に、自然への畏怖と同じように、私たちの基底をなす
本能のようなものなのではないでしょうか。
よい映画を教えていただき、感謝しています。7月、松本でお会いしましょう。
Posted by: いつき [ 2010年6月 1日 12:33 ]
"入会権"奥が深く難しい問題をはらんでいそうですね。
私の住んでいる地域にもそれに近い或いはそのものかもしれない"財産区"が存在します。
私の家は古くからこの地で生活しているにも関わらず、財産区名簿に名前がありません。
過去の歴史は細かく分かりませんが、現状では財産区有地にあるゴルフ場からの地代収入つまりおいしい利益の分配を分散させない為に新規に名簿に入れてもらう事は一切かないません。
財産区にもよると思いますが、皆で山に入って作業をして、皆で恩恵を分かち合いましょう的な空気が全く感じられない、単なる独占的利権ではなかろうかと思しき入会権も悲しいかな存在します。
Posted by: ニシムラ [ 2010年6月 1日 20:40 ]
かなめ様
初めてコメントさせていただきます。
私は、都会からではありませんが、イノシシや、猿が出没する田舎へ転入してきた者です。
コミュニティに参加できていないと言われれば、そのとおりなので、かなめ様が言われる「あなた」に当てはまるのかなと思います。
具体的に、どんな迷惑をかけ、出て行って欲しいとまで言われるのでしょうか。
燃料としてのプロパンガスが普及する以前、薪集めを経験した者として、今でも当時と変わらないと言われる「入会」とは、何を指しておられるのか、お聞きしたいところです。
Posted by: かなめ [ 2010年6月 2日 19:01 ]
いつき様
”奥が深く難しい問題をはらんでいそう”、まさしくその通りですね。
その地に暮らしながら、区の名簿に名前があがらない例は、全国で無数に
存在するかと思います。逆に、そこに暮らすと即区民という地域があることも
知り、それに驚いたこともあります。
15年しか暮らしていない私などは、もちろん区民ではありません。地域は
明言できませんが、知っている例では、現在70代の方で、お父上の代から
移り住んできても、区民ではないという方がいます。この方は、私から見れば、
言葉や人間関係の深さなどで、区民である人との違いがわかりませんので、
とても不思議に感じます。
既得権への執着、と言えば、そういう見方もあるかもしれませんが、地域に
暮らしてみて、近ごろ想像しているのは、欲というつまらないものを原動力に
しているのではない、安全保障のような潜在意識があるのではないかという
ことです。
単なる独占的利権に見えてしまう地域もあるのですね。幸せなことに、
私の暮らす地域では、インフラやそのメンテナンスに区の財政が貢献して
くれているおかげで、区民ではない私も恩恵を受けています。
入会とは無関係かもしれませんが、いつきさんもご苦労いただいている
消防団の恩恵も計り知れないものがあります。移住してきたときにはすでに
適齢期を過ぎていたために、団員経験をせずにお世話になっていることが
申し訳なく感じられます。
Posted by: かなめ [ 2010年6月 2日 19:34 ]
ニシムラ様
コメントをありがとうございます。
はじめに、もしも私の書いた記事の表現に、不快感をあたえる点がありましたら
お詫びいたします。
私が勝手に感じている”迷惑要素”の可能性とは、コミュニティーに参加できて
いない形が、たとえば田舎で周辺住民との会話をほとんどしない状態で暮らして
いるような場合、その人の素性がわからないことへの不安感をもつ人がいる
可能性です。
妄想をさらに深めてみますと、好むと好まざるとに関わらず、姻戚関係を意識し、
伝承と田畑を守り、時には大きな犠牲を伴いながら維持してきた暮らしの安全を、
素性のわからない人は理解できないかもしれないという不安。
単に人付き合いが苦手であったり、コミュニケーションが得意ではないという人は
どこにでも居ますが、田舎社会では、その人が”ハナタレ小僧”の頃から知っている
人であるため「あの人はああいう人だ」と認識されます。でも、何の情報もない人に
対しては不安を感じるのではないか…。
Iターンしてきてから、私にはそう考える機会が何度もありました。
ニシムラ様がおっしゃっている
>今でも当時と変わらない「入会」
というのがあるかどうかは、当時を知らない私にはわかりませんが、入会と
個々人の生活の結びつき方や、入会地での作業の頻度などが変わったと思われる
現在でも、インフラの維持や、地域によっては人々が共同する力の確認という点で
>未だに地域の人々の暮らしの基底をなしている重要な作法である
ことは、当地の場合容易に想像がつきます。
私の知らない”かつて”については、ニシムラ様がよくご経験のようなので
省きますが、”未だに”と表現した現在は、たとえば農地における水です。
たとえ区とは別立てで管理実態がある場合でも、それは区とかなり密接に
関係していますし、基幹である農地管理のためのお金を、区が肩代わりする
ケースもあります。
話がそれますが、村に暮らし始めた頃、地元を良く知る方に、「村はずれに
ある別荘地に安い物件をみつけて定住したい」ということを話したところ、
「それは絶対にいけません。人の暮らす集落で生活するべきです」と強く言われ
ました。私は何の経験もなかったので、その真意を知ることができませんでしたが、
今ではその方に深く感謝しています。
私には集落の中で暮らすことが向いている、ということを見抜いてもらえた
こと。そして(年齢のうえでは)いい大人に、そこまで立ち入ってモノを言って
くれる人がいるということ。これも入会を身近に感じることのできる地域ならば
こそのありがたさなのかもしれません。
長々と失礼しました。
Posted by: ニシムラ [ 2010年6月 3日 20:46 ]
かなめ様
ご丁寧な返答をありがとうございます。
Iターンされた方の発言にしては、あまりに先住者側寄りの内容でしたので、大変違和感を覚えました。
私は、かつて独身で借家暮らしだったのに、地区の共有林の権利があると言われたことがあります。
他の方の発言にもあるように、地域によってさまざまな形態があるようです。
私が住む地域の近くへ移住した人が、あまりにひどい「よそ者いびり」に耐えかねて、せっかくの住まいを再度移した、ということもあります。
かなめ様には、せっかくIターンが成功されているようなので、後に続く方たちへの具体的なアドバイスをいただけるよう、勝手に希望いたします。
今後とも、怪我などされませんように、ご自愛下さい。
Posted by: かなめ [ 2010年6月 3日 22:37 ]
ニシムラ様
ひどい「よそ者いびり」の例、たくさん耳にしています。私の暮らす地域
でも、「いびり」こそ無かったものの、人々を恨みつつ悲しい結末を迎えた
人の例があります。
入会の姿が多様であるように、新たに生活する人の感じ方。迎える側の感じ
方。それぞれの対応。それらもすべて多様であることを、私はもっとよく考えて
から、最初の記事を書かなければいけなかった、そう反省しています。良い機会を
いただけたことに感謝しております。
そしてやさしい気遣いのお言葉。身にしみます。私のアドバイスなど、とんでも
ないことで、こうしていただく言葉のひとつひとつのおかげ様で、何とか今日も
家族ともども暮らすことができているのだと思います。
これからもコメントをお待ちしていますので、どうぞよろしくお願いします。