季節
時の流れ方に凄まじさを感じています。特にこの夏などは一瞬の閃光のようでさえありました。ブログのテーマが山村起業ですから、こじつけて言えば「起業は適齢期に入ってからすぐの方がいいよ」とでも言いましょうか…。年齢とともに変化する「とき」の短さは、対数カーブを描きます。「五十そこそこになると棺桶が見えるから、ことを構えるのは早い方が良い」と感じています。幸せなのは、山村の者として起業しさえすれば、その変化を毎年確実におとずれる山川草木の表情のうつろいから、生き物のひとつとしてわかるということです。
(これは田舎で遅れ気味に仕事をこなしている者の戯言ですが)田舎はとても残酷で、一歩外に出るとすべてが時を刻んでいます。一次産業に従事する人々はすべて、空気の温度、霜の気配、夜の月の色、etcで工程管理をします。ですから、イメージ的にはほのぼのとするはずのこれら秋の恵みが、今年の自分にとっては脅迫のように映ります。
と言いつつ、採って帰るゆとりはなんなんだろう。
コメント
Posted by: ふるだぬき [ 2008年9月24日 20:56 ]
遠隔地の現場が多いので、今日も結局獲って帰る余裕が無いままでした。
獲って帰れるってことは、やはり「近い」ことの裏返しではないかと思います。
時間の有無、工程管理の問題とは別だと思います。
近くの現場で、足下にあれば・・拾いますよね。
Posted by: かなめ [ 2008年9月25日 05:28 ]
ふるだぬきさんのおっしゃるとおり。地元の山で働かせてもらえる、ということが「拾う」ゆとりの基本ですね。
でも…、ふるだぬきさんにとっては、信州全土が地元みないなものですよね。勤務時間の半分が移動なんてときも少なくないんじゃないでしょうか。
収穫の季節に、近場の現場が多いことを祈っております(笑)。