説明の難しさ
時間が経っての報告です。7月31日づけの地元新聞(しかも地域面)に「二つの足音」と題し、地域の林業の動向などを書いたものを掲載していただきました。信濃毎日新聞社からの「佐久の森づくり」というリクエストに簡単に返事をしたまでは良かったのですが、いざキーボードを前にすると、いったい何をどこから書き始めれば良いのやら、考えるにつれ「こりゃ、えらい事を引き受けてしまった」という重圧に脂汗がにじみだしました。
業界のことを良く知る人たちに呼びかけることと、事情を知らない人たちに説明からはじめることには、言葉では表現できないほどの違いがあることを思い知らされました。つまりかように、我が林業界が自ら築いてきた垣根は高いのだということではないでしょうか。そして気づいてみれば、たった13年で自分もどちらかと言えばその垣根の中に立っているということです。なんとも背筋が寒くなる経験。
連載の次回は9月とのこと。いちど滝にでもあたって、意識のぶれを正す必要がありそうです。
コメント
Posted by: ふるだぬき [ 2008年8月 6日 07:38 ]
私達林業関係者は、現在の状況では「税金」を失った瞬間に崩壊するという危うい橋の上に立っているために、気がつくと「霞ヶ関」を向いて仕事をしてしまい、関係者にしか通用しない世界に陥っているのではないかと思っています。
結局、「何のために森林で木を伐っているのか?」
もしかしたらそれすらも理解せず、
○○%の間伐をすれば、補助金が○○円下りるので、食える・・・といった、目先の食い扶持として森林を見てしまう現実に飲み込まれている人が多い気がします。
長野県をはじめ各県で地方税が導入されていますが、我々林業関係者が発信し続けなければいけないのは、「税金を投下してまで森林整備を行う本当の意義」を訴える事でしかないと思っています。
本来の「業」であれば、「税金投下」など要らないはずで、「業」とはなにかを「魅せていく」のが我々の仕事のハズなのですけどね。
「魅せる業」を持って、山づくりに取り組む人になかなか出会えなくなりました。
Posted by: hideshi [ 2008年8月 6日 22:27 ]
間伐などの森林整備事業だけでは
「本当の意義」は
一般の方々には伝わりにくいと思います。
PR効果のあるソフト事業をいかにして作り上げていくのか。
いかに住民の方々に参加していただくのか。
住民の皆さんに理解していただく為に、
本当に効果のある取組をすることは
難しい~。
でも、我々林業関係者は
何とかしなければなりません!
こちらも模索しているところですが・・・。
Posted by: かなめ [ 2008年8月 7日 08:00 ]
ふるだぬきさま
急所をつかれて何も言えない状態です。森林所有者はおろか、納税者の方さえ向かずに仕事をする日々。そして何のために自分が今間伐を行なっているのか。その施業のビジョンはあるのか。
何の進歩もないままウロウロしているうちに、材(財)としての森の価値が再び高まりはじめました。皆伐、未植栽の個人地を見るにつけ、無能、無力感に打ちひしがれるのですが、あきらめることはしません。適切に伐って売ること。お金での評価優先で見過ごされていることの問いかけ。これらを形にしたいと思います。
Posted by: かなめ [ 2008年8月 7日 08:01 ]
hideshiさま
ほとんどの人が「森は大切」という前提で話を聞いてくれる中で、その理解にあぐらをかかずに、もう一歩深い理解のために力を注ぐのですよね。
ちょっと議論とはピントがずれるかもしれませんが、最近思っているのは、薪も含めて裏山や近所の山のものを使ってくれている人を、もっと大切にするべきじゃないかということです。行政にとってはハードルの高いことかもしれないので、民がいろいろと考えなければいけないのでしょうが、ぼんやり思うだけで、今のところ行動にできていません。
こういうこと、以前はすぐ行動にしていたのですが、いけません。安住しております。