• 山村型起業解説
  • 事業アイディア
  • インタビュー「先人に学ぶ」
  • 農山村の背景情報
  • お役立ち情報・技術
 

そまびとたちの奮闘記

NPO法人信州そまびとクラブ。
山仕事をしながら、
林業のこれからの姿を提起します。

2008年7月27日

林業は消えてなかった

先日書き込みをした小学5年の教科書での林業の扱いの件ですが、村の小学校におじゃまして社会科の教科書を確認してきました。結果はOK! 皆様、たいへんお騒がせしました。光村(みつむら)図書の「社会5下」に、命をささえる森林というタイトルから始まって、8ページにわたり森林や林業に関する記述がありました。さらにそれに続いて「自然を取りまく問題」として、動植物の絶滅や酸性雨に関する記述もあります。


 実は前回の書き込みのあと、心配して昨年の教科書のコピーをお送りくださった方もいます。早とちりしてしまい、すみませんでした。


 内容を見ると、さまざまな思いが重なり合い、簡単には感想は述べられませんが、あえて言えば「限られた時間の中での説明なのでやむなし」とでも言いましょうか…。
 当事者としては社会科の一部ではなく、森林科あるいは第一次産業と言う教科を作るべきと叫びたいところですが、今の小学生や先生が置かれている状況を考えると難しいでしょうから、私たちがまずしっかりして、とにかく地元の小学校にだけでも(迷惑かもしれないが)働きかけられるようになることが大切な一歩なのではないでしょうか。


 私の見た本には、総務省資料から林業従事者数の変化というグラフが片隅に載せられており、「ここまで載せてくれたか」と喜ぶのもつかの間、よく見ると従事者数のうち50才以上が色分けされているではありませんか。本題から離れますが、あと一年で自分もこの色分け組の仲間入りをすると気づくと、愕然としてしまいました。

2008年7月26日

森の紙芝居

080726otomari1.jpg

昨年夏の愛読書紹介に続いて、もうひとつの私の愛読物語「モーリーさんのおおきなテーブル(作・画:ふりやかよこ 制作:教育画劇)」を紹介します。


 村の図書館で紙芝居あさりをしていて見つけたのですが、動物たちに愛された木モーリーさんが伐採されてしまい寂しいけれど、どっこい家や家具になってモーリーさんは次の人生をおくり、森にも切り株が動物たちのテーブルとして残る、というストーリーが好きで、機会あるごとに保育園に持ち込んでいます。


080726otomari2.jpg

 お泊り保育の就寝前のひととき。だみ声の紙芝居ですが、みんなググッと入り込んできてくれます。「みんな、今夜は森の夢を見ておくれ」

2008年7月24日

黎明

すっかり早朝勤務のリズムが体についてしまいました。暗いうちにしたくをして、照明なしでも手元が見え始めるころ草刈機を回しはじめます。これだと体力の消耗が少なく、最大の恐怖であるハチもおとなしいのです。でも一昨日8時半ごろ、後頭部をいっぱつ、ドカンとやられてしまいました(チクリよりもドカンという感じ)。


 幸いアシナガバチの、まだ成虫が2匹だけの巣だったので、ひとつ刺されただけで簡便してもらえましたが、やはり日当りの良い場所では用心が必要ですね。


080723dawn.jpg

昨日、着手前に畑の様子をパチリ。高原野菜の収穫は夜中から始まっています。画像では白く小さく見えますが、照明に照らし出される畑での収穫風景はSF映画の撮影のようで、幻想的です

2008年7月19日

訓練再開

080719ichiho.jpg

長い間商売の都合で怠けていた訓練を、ようやく再開することができました。


 訓練などと言うと重苦しいのですが、毎月保育園に押しかけて、山で見つけたものの話や、自然を題材にしたゲーム(ネイチャーゲームのようなもの)で遊んでいます。毎月遊びに行くと、逆に彼らの目線からの様々な生き物情報を聞かせてもらうことができますし、みんな小学生になっても覚えていてくれます。ですから、けっこう子供たちの間では顔が広いかもしれません。


080719niho1.jpg

 村には第一、第二のふたつの保育園がありますが、毎回年長さんを対象に遊ばせてもらっています。未就学の子供たちとの付き合い方や伝え方は、実地でないと身につきません。今回は定番のシカのお話とゲーム。このゲームは、私が自然観察の道に入るキッカケを作ってくれた師匠から伝授されたものです。
 この子達の多くが将来、野菜の生産者になり、かつ、森林組合員つまり森のオーナーになるわけです。そう考えると山や木のことはいつも忘れずにいてもらいたいと思います。

2008年7月18日

スリル

080718oozasa1.jpg


先日「植物人間」でお伝えしたシカよけ電気柵の手入れのその後です。昨年、私の地元の集落を担当させてもらったのに続き、今期、新たにもうひと集落で作業させてもらえることになりました。これでこの夏は全部で三つの集落の畑の周りを歩くことになります。


 草が深く、日が昇ってからでは体力の消耗が激しいため、一昨日から午前4時の着手に切り替えました。まだ完全に夜が終わらないころ、ブーンと草刈機をまわし始めます。
 今日の畑は柵の10センチくらいそばまでナイロン製のネットがあり、反対側は崖地形、その上出来の悪かったハクサイと、畑から発掘した小石がふんだんにブン投げてあって、スーパーテクニカルコース。そこへ畑の主が収穫作業にやってきました。


 オーナー:あぁ、草 刈ってくれるんですか。すいませんねぇ。ネットや石があって刈りにくいでしょ。
 かなめ :いやぁ、気をつけて、ボチボチやりますよ。
 オーナー:それから、ここはヘビがいるからね、去年、畑の中でひとり噛まれたから。マムシ。気をつけてね。
 かなめ : … じゃぁ、マムシが寝ているうちに終わらせるダ。アハハ (マムシは基本的に夜行性だぜ)


 去年、中国人研修生がマムシにやられたという話は聞いていましたが、それがこの畑だったとは。ヘビ嫌いではない私ですが、やられたという実績はリアリティ過多です。そして現在、村内には血清は常備されていません。ドクターヘリには乗りたくないよ。
 ということで、今朝はスリリングなひと時を過ごしました。どの程度スリリングかと言うと、蜂の恐さをまったく忘れながら作業をするくらい、…かなりわかりにくい例えで失礼しました。


080718oozasa2.jpg

上の画像の場所の作業終了後です。柵に隣接しているネットがわかるかな?

080718oozasa3.jpg

参考「草刈機は野菜を切ることもできます」の図

2008年7月17日

教科書からまた林業が消えました

080717camp1.jpg


彼らが保育園に通っていた時以来の再開でしたが、今日いっしょに歩いた16人中、10人くらいはいっしょに遊んだ内容まで覚えてくれていたようです。それもそのはず、毎日通学路で顔を見ているのですから。
 地域のきこりには転勤も単身赴任もありません。ただ山にうずもれ、朽ち果ててゆくのみです。そう言えば先日、保育園に行ったら園児に聞かれたっけな「どこのおじぃさん?」…って。


 しかし今頃気づいたのですが、この季節になると小学生と過ごす日が多くなります。今日は最初に遠景からの観察。
 「あの雲がはじまっている高~いところ。おんなじ色が広がっているところがあるでしょ、おんなじ色なのは全部おんなじ木が生えているからだよ。木の赤ちゃんを背負いあげて、一本一本、人間が手で植えて造った林だよ」。
 ちなみに、今日は「知ってるよ、人工林だよっ」という反応はゼロでした。再び、小学5年の社会から林業が消えたのだそうです。俺たちは黙っていて良いのか!

2008年7月15日

拾得物 -Dead on road-

080714mink1.jpg


このブログの趣旨からはちょっと遠いですが、世間一般には珍しいものを拾ったのでアップしておきます。拾った場所の環境から見て、たぶん交通事故死体です。
 当地ではけっこう眼にする生き物で、漁協の人たちが主体になって、せっせと駆除しています。場所は小海町というところの国道上。クール宅急便にして早速、県の研究所に送りました。

080714mink2.jpg

慌てて写したのでブレブレなのに気づきませんでした。さて私は誰でしょう??

2008年7月13日

手作り図鑑でビンゴ

080712camp1.jpg


今年で3年目になる「父と子のアウトドア講座~ふれあい自然体験in川上村~」のお手伝い。今回は以前からあたためていたプランを提案して、あえて歩きにくい未整備の森の中へ、みんなでガサガサと入り、参加者に木々に触れながらのゲームを楽しんでもらいました。


 この事業は三鷹市社会教育会館が主催しているもので、今回は東京都三鷹市に暮すお父さんと子供たち10組に、あらかじめ用意した木の枝9種類による標本図鑑を作ってもらいました。これだけでも「おみやげ」効果はあるのかもしれませんが、本番はそれから先です。9種類の標本はあらかじめ各自の好きなように3×3のマトリクスに配置してもらい、それを持って森の中に入り、木の肌を観察しながら、標本と同じ種類の木を探してもらいます。標本図鑑は3×3、つまりビンゴの配列にしてあるので、予想したとおり、ビンゴの完成をめざして子供たちは夢中になってくれました。
 賞品には、ささやかながら、川上産の水晶を持ち帰ってもらいました。夜の部はお約束の、歌ったり踊ったりのキャンプファイヤーです。みんな、良い思い出になったかな…?


080712camp2.jpg

 実はこのビンゴを仕掛けたことには私の原体験に基づくある想いがあります。それは小学校3年ぐらいのとき、父に連れられてクワガタ採りに行ったときのこと。山育ちの父はクワガタの好む木をめざし、歩道をはずれて山中をガサガサとどこまでも、つまり山を面として行動し、心細い私は否応なしに必死についてゆき、やがてちょっとした崖伝いの所に出くわし、恐さのあまり動けなくなってしまったのです。
 そのとき泣きながら父の助けを求めたことと、息子のあまりの情けなさに憤慨した彼の顔は、40年近く経った今でも鮮明に覚えています。


 この記憶がトラウマではなく、むしろ郷愁となっていることの謎はともかくとして、ここに出てくる「面」として山を歩くことの意味というか重要性が、私は以前から気になっていたのです。
 山暮らしの人にとって山は糧を得る場所ですから、当然それは道に沿って線状に存在するものではありません。一方、道を外れて自然の中へ入ってはいけない、というのが昨今の自然観察のセオリーです。その考え方の背景や大切さをどうこう言うつもりはまったくないのですが、道に沿うだけや、林床の整備されたところではない自然体験がもっとあっても良いのではないか。そんな考えを今回かたちにしてみました。


 大人にとっては小さなギャップや苦にならない枯れ枝も、子供たちにはかなりの障害になったと思います。つまづいて転ぶ子供も居ましたが、彼らは私が想像していた以上に活き活きと駆け回っていました。
 いろいろと条件に工夫は必要かもしれませんが、こういう体験も変わっていて良いのではないかと、ひとり森の中で納得した一日でした。

2008年7月11日

植物人間

080711faceguard1.jpg


林業カレンダーに従えば、夏は下草刈の季節。ところが皆伐をして再び造林することが少ない昨今では、夏の草刈を何年もやっていないという作業者が居る地域も少なくないようです。


 そんな中、珍しく要林産では夏のたびに草関係の作業にありつくことができています。もう何回もお知らせした、基幹産業である高原野菜の畑全体に張り巡らされたシカよけのための電気柵。この柵の効果を保つための柵の下草刈が、今年もピークに突入しました。


 通常の下草刈とは異なり、頭よりも高い位置の枝葉も処理するので、青汁などを飲まなくとも、夏の間は健康の心配がないほどに全身葉緑素まみれになります。そして刈っている草や木の種類ごとに、さまざまな「緑のにおい」につつまれるのですが、時々、よく知っている異臭を感じることがあります。おそらく気の毒なカメムシ君がバラバラになりながら吹っ飛んでいるのでしょう。


 そんな状態なので画像の防護面は必需品です。今日は雨が一時強くなり、水滴で前が見えなくなってしまったため、この防護面をはずして作業したのですが、終わったら植物人間のような顔になっていました。本当はその画像を載せたかったのですが…。

2008年7月 8日

癒し

080708karasawa.jpg


昨年のこの時期にも報告しましたが、この村の子供たちは5年生になると皆、村内のすばらしい森の中でのキャンプ体験をします。もう何年目になるのか思い出せませんが、今年もその第一陣の「唐沢の滝」までのトレックの手伝いをしてきました。


 日頃森を職場としている者にとっても、ある種の特別な感じを受ける森のある地域ですから、そこで受ける癒しはいつもニコニコものなのですが、やっぱり子供たちの仲間に入れてもらえることから受ける力はすごいですね。日頃の難しい顔をしてしまう原因を全部忘れて(それほどものを考えていないだろう、という意見もありますが)、今回も、いちばん楽しませてもらったのは私かもしれません。


 毎年立ち止まって観察するポイント、人工林と天然生林の境界で、声を合わせて「カラマツ~」と木の名を答えてくれたことに安堵したり、炭焼きのかまの跡をクイズにして、家に帰ってからの大人たちとの会話の題材にしてもらったりと、いつもながらの進行でしたが、今年は私の発見もありました。


 雪折れで落ちた木を見て「これ桜だよね」という少年一名。木の肌を見て桜と見抜く5年生に興味を持ったので事情聴取をすると、彼の識別能力に、最近彼の家に導入された薪ストーブが深く関与していることがわかりました。以前から薪ストーブが寄与するカーボンニュートラルだけに気を奪われていましたが、子供たちに木を見る眼をそなえさせるという重要な能力も、薪ストーブにはあったのですね。

2008年7月 4日

伐倒方向と地域の関係

仕事がら木を倒すことがよくあります。この木を倒す行為を伐倒(ばっとう)と呼んでいますが、先日、都会の小学生の林業体験受け入れの際に、チェンソーでの伐倒のデモのリクエストがあり、安請け合いをしました。「ここをこう切って、あっちに倒すよ。ブン、ブーン。メリメリ、ドッシ~ン」 …と、デモは大成功かに見えました、が、甘かった。


 作業が終わってから、子どもたちの指導に参加していた林野保護組合の理事が私の耳元でささやきました。「おい杉山、失敗したな。あの木はあの立木の右側に倒すつもりだったな」。私はただ一言「言い訳はしません」とだけ答えました。


 毎度のことながら、デモのときに選ぶ木の第一条件は、失敗しても危なくない木なのですが、私のようにずるい人間は、危なくない木を倒す場合、つい緊張感を欠いた仕事をしてしまいます(日本語にはこういう状況を示す良い言葉がありますね、「手抜き」です)。


 緊張感を欠いた仕事が、いずれ大きなしっぺ返しとなってふりそそぐであろうことはともかくとして、今日述べたいことは他の視点です。当地には現役のきこりでない人の中にも、このように作業者の伐倒の精度を見抜いたり、山仕事の出来栄えから作業者の程度を察知してしまう人がゴロゴロしています。今でこそ農業が基幹になっていますが、少し遡れば、村民の誰もが山仕事と関わりを持っていた地域。経済的に衰退してはいても、人々の思い出の中に、生活体験としての林業の消えていない地域。そういう地域で自分は商売をしているのだということを、改めて己に言い聞かせることのできる瞬間でした。


 山仕事をした跡地を… 材木を積んだトラックを… 人々はちゃんと見ています。山仕事を通じての地域との関わりを教えてくれる師匠を持たない新規就労者が多い中で、伐痕(切り株)を指し示し、「ここは○○の事業体の××さんの班がやったところだ」という声を耳にしながらきこり修行できる自分は、なんと幸せなのだろうと日々感じています。


080704stump1.jpg

赤矢印が私が目指した方向。黄矢印が「この木の右側に倒さなければならなかった」と見抜かれた立木


080704stump2.jpg

ぞんざいな作業でコントロールをしくじった左右のツルの状況。中央に「恥」とでも彫刻しますか

2008年7月 2日

やっかいな連中

タイトルから、どんな生き物が連想されるでしょうか。私の場合は、画像のような血をあてにしてやってくる虫が大きらいです。昆虫好きの私でも、彼らが来ると容赦なく殺戮マシンに変身します。


 以前、環境省のレンジャーさんと話しているとき「血だけなら仕方ない、吸ってもかまわないけれど、ついでに余計なものを体に入れてゆくから許せない」との見解をうかがい、大いに頷きました。また、ある詩人の少年時代のことを語った文章の中で、どんなに小さな命でも大切に考える彼が、蚊と人間の関係に苦悩した末、メスのみが吸血することを知って、オスだけでも命を救うことができる口実として安堵したのだけれど、やがて彼が成長し生物のオスメスの役割を理解する年頃となってからは、再び苦悩しなければならなくなった、というようなことが語られていたのにも、妙に親近感をおぼえました。


080620usiabu.jpg


 画像のウシアブの仲間は、上手に肌を切り裂いて、そこから出た血を吸うというよりもなめるようですね。これが飛び始めると「いちばん良い季節が終わってしまったなぁ」と実感します。今年もまた、虫たちに追いかけられながら、滝のような汗と草の匂いにまみれる日々のはじまりです。そして祈ります 「なんとか今年は蜂の巣をたたきませんように…」

profile

そまびとたちの奮闘記 「そまびと」とは「きこり」のこと。現代のそまびと=技能職員たちが起業し、模索しはじめました。

お知らせ

要林産のホームページ somabito.jp をどんなものにしようか、現在思案中です。なにか良い案があったら、ぜひコメントに書き込んでください

2009年10月

S M T W T F S
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

カテゴリー

  • カテゴリを追加

最近のエントリー

最近のトラックバック