手作り樹木図鑑
今日は村内にある東京の町田市の施設で、小学生の林業体験の受け入れですが、あいにくのお天気。もしも作業が無理な時には、思い出を持って帰ってもらえるように、こんな樹木図鑑をみんなといっしょに作ってみようと思っています。
今日は村内にある東京の町田市の施設で、小学生の林業体験の受け入れですが、あいにくのお天気。もしも作業が無理な時には、思い出を持って帰ってもらえるように、こんな樹木図鑑をみんなといっしょに作ってみようと思っています。
いつもお世話になっている林業関係の団体の皆さんをたずねて、赤坂にある事務所におじゃましました。山での取材や行事の際にしかお会いしない方に、都会のオフィスでお会いすると不思議な感じがします。
中央があまりに遠く、農山村を含めた日本のこれからを左右することが日々この町で決定されているということを実感できなくなっているのですが、国会議事堂のまん前で、こうして力強い味方が汗を流しているのだと思うと、勇気がわいてきました。
皆さんよくこのページを見てくれているので、いずれ書き込みなどで団体の名称も判明するかと思います(笑)
このオフィスから、地域や林業をより良くしてゆくための情報が日々発信されます。言ってみれば情報共有の要です
午後からは、昨年3月にもお伝えした、国民森林会議の提言委員会の打合せに、文京区の本郷にある学士会館分館へ。
今年の提言は「林業の担い手問題」。現場の声を聞かせてほしいということからお手伝いさせてもらっています。本当は会議の様子を撮影したかったのですが、図々しい私でも、諸先生の前ではそのようなお願いもできず、かわりに重厚な学士会館の玄関の画像で勘弁してください。
長野県地球温暖化防止活動推進員の会議に行ってきました。恥ずかしいことに、昨年11月の委嘱以来はじめての推進員らしい活動参加です。出席していた推進員の皆さんは「とにかく行動を」という意識の高い人たちだったので、いろいろと考えさせられました。
市町村の担当者による各自治体の取り組みの報告があり、それらへの市民の皆さんの反応には、ある種のもったいなさのようなものを感じました。みなさん意識が高いあまり「筵旗(むしろばた)」を振ってしまっている…。処理能力の限界を迎えている(地域によっては限界を超えている)組織の個々に対して、多くの人が時間を裂いている場で、ただ苦言を述べることはむしろ迷惑。動くことのできる人は行政をそそのかす確信犯であることが、これからの時代は求められているのに、意識の高い市民に必要なファシリテータが不足しているのです。
ところで今回、推進員となったことを機に村の公民館報への連載をさせていただくことになりました。館報編集長経験者の先輩に相談したところ「おめぇは重宝がられてるな」との分析。たしかに埋め草担当なのかもしれないけれど、地域のメンバーの末席に座らせてもらったのではないかと受けとめ、今は1200世帯対象に温暖化防止のことをどのように伝えるかということで頭の中がいっぱいです。
日本の田舎はどこでもそうかもしれませんが、パチンコ屋さんの駐車場を見ると、エコロジカルフットプリントは田舎暮らしの人の方が、都会暮らしの人よりもはるかに大きいような気がするのです(逆に言えば、車を捨てて田舎暮らしをすることが理想です)。
地域の生物研究者集団の活動がはじまりました。4月13日にもお知らせしたNPOが、最初の具体的な調査活動として環境省が進める「モニタリングサイト1000 (重要生態系監視地域モニタリング推進事業)」に応募し、参加が決定して最初の下見作業を行いました。
この事業は「100年の自然の移り変わりをみつめよう」という壮大なテーマのもと、より質の高い自然環境データを継続的に収集・蓄積するというものです。昨年11月に閣議決定された第三次生物多様性国家戦略がベースになっていますが、その戦略である
1 生物多様性を社会に浸透させる
2 地域における人と自然の関係を再構築する
というところを見ると、やっと日本もここまで来たのかと感じます。とくにこの「1」をすすめてゆくには、既存のコスト意識だけでは説明のつかない、倫理的観点での国民的な視野の拡大が欠かせないと思います。
モニタリングの予定地は信州そまびとクラブがいつもお世話になっている佐久市の大沢地区。ここに一町田(いっちょうだ)という棚田があり、昨日は下見に加えて分教所をお借りしての懇親会と、財産区議長さんに挨拶にうかがいました。日頃の山仕事を通じてのお付き合いが私のライフワークである生態系保全に直結した、記念すべき一日でした。
ツチガエル 長野県版RDB絶滅危惧Ⅱ類
新幹線に乗って「長野の林政を考える会」という会合に参加しました。長い間報道関係にお勤めだった方が世話役になり、県内の林業、木材、建築の関係者などに声をかけ、木材や林業にまつわる話題を共有したり議論をする場で、たいへんに有意義な会です。
今回は、この1月に中部森林管理局長に就任された平野秀樹さんのお話をうかがう集まりでした。平野さんは当ブログの運営者である全国林業改良普及協会の「2020年 日本の森林、木材、山村はこうなる 森林化社会がくらし・経済を変える」という本の執筆を担当されており、以前からお会いしたいと思っていたので、喜び勇んで出かけました。お話の内容はこれからの人口動態から始まり、平野さんの霞ヶ関に対する個人的見解も含め、山の手入れから環境、森林セラピーなど多方面にわたるもので、ひとつひとつデータをもとに説明されていてとても簡単には表現できるものではありませんが、ひとつだけ印象を述べれば、林業の危機を整理した形で改めてつきつけられた思いがしました。私自身、話の内容をすべて飲み込むまでにもう少し時間がかかりそうです。
田舎に暮らしていると時刻表を見るのがめんどうで、ついつい軽トラでどこまでも出かけてしまうのですが、昨日はとにかく運転することをやめて、列車に揺られながら溜まっていた読みものに集中しました。
昼寝をしようと思ったら、こんな不思議なパターンが目に飛び込んできました。材料が木であることはわかりますが、さてその正体は何でしょう??
昨日は所有者のお宅のすぐ裏山での伐採作業だったので、庭先で昼休みをとりました。下の画像を見ると、位置関係がわかるのでは?
自然の中で働くことの楽しみのひとつに、日頃あまり見ることのない生き物たちの暮らしに接することがあります。そしてそのことは、私が山仕事を続けている理由のかなりの部分を占めているようにも思います。上の画像のクローズアップが下の画像です。さてさて、シラカバの切り口にツチハンミョウを突き刺した犯人は誰でしょう??
ちなみに、このツチハンミョウを山で見つけたときは、キラキラ光って綺麗だからといって安易に手に乗せたりしないようにしましょうね。毒性の分泌物によって皮膚に炎症をおこします。
雨を覚悟してでかけた現場は雪でした。今日の雨と雪の境界は標高1300mあたりだったようです。ハシゴを使った高所作業の多い現場だったので、帰ろうかとも思いましたが、ありがたいことに工程が詰まっているので、1日分できないにしてもこなしておこうと思い、慎重に作業を進めることにしました。
現場の入り口。 おじぎをしているシラカバに戦意を喪失しましたが、己に気合を入れて何とか一日作業できました。夕方には地面の雪は下の画像のとおり消えていましたが、天気予報がはずれ午後も雨の中の高所作業でした。
別荘オーナーから、建物を圧迫しはじめた木の伐採を請負いました。この種の作業は要林産の主力事業のひとつなのですが、今回は倒した木を薪サイズに切って集積してもらいたいとの注文も受けました。当然ながら、ただ倒すよりも手間がかかるので、それなりの料金にはなってしまいますが、上の画像のように暗かった庭は下のように明るくなり、倒した木も燃料として有効に活用してもらえます。
今年も長野県佐久地方事務所主催の環境フェアに出展した信州そまびとクラブのブース。地方事務所貸し出しの製材機による実演を行ないました。今年のメインは佐久市大沢財産区のヒノキです。もう3年目なので、みんないい動きをしています。
NPO法人っぽくなったと言うか何と言うか、次第に支援者の層が厚くなり、今回は手作り品のチャリティー販売も活発に行なわれました。開会前、たくさん用意された笛は、おかげさまでほぼ完売状態。帽子をかぶっているのは笛の作者で、ときどきこのブログにも書き込んでくださる樹(いつき)さんです。
そしてその笛を見ているのは、長野県の林業関係者ならば知る人ぞ知る。有賀建具店の有賀恵一社長です
実はこの笛の材料は、そまびとクラブのイベントの際に有賀社長が配った端材を利用して樹さんが作りました。とどのつまり「端材」などという材は無いのかもしれません。有賀社長も感心しておいででした。ちょっと感動的なシーンです。
役所から林務課という部署が無くなってゆき、林学会は森林学会と名称を変える中、昨年の起業のときに、あえて「林産」という名を使うことにしました。でも悲しいことに本格的に木材生産をする設備を買い揃える体力が無いため、これまで名ばかりの「林産」だったわけですが、このたび要林産初の丸太の販売を行いました。末口15cm(丸太の細い側の直径)、長さ90cmのカラマツ80本を、別荘の敷地の階段用に受注し、昨日、無事納品しました。本格的に素材生産をやっている業者から見ればささやかな量ですが、要林産にとっては意義深い記念すべき一日でした。
画像左にわずかに写っているトラックは、いつもお世話になっている農家からお借りしました
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