山村での起業を考える
近所にとても起用な人がいます。家を建てたとき、親戚の山で木を調達し、中古製材機を敷地内に設置して夫婦で製材。大工は、大工のバイトをしながら職業訓練校に通いマスター。配管も自前。瓦ぶきは屋根やでバイトして、材料もそこで安く調達と言った具合。基礎工事だけは外注だけれど、バイト先の大工さんと組んでいた基礎屋さんなので、気心が知れている。
木は家の材料である。しかるに、その木が値打ちの無いもののように山に捨てられている。だから、自分で住む家はその捨てられてしまうものを出して建てる、と言う思想をしっかりと持って、やり遂げてしまった。そういう人だから、木工品や細工はお手のもので、あちこちから声がかかり、忙しい日々をおくっています。
先日、その人と話していて改めて感じたことがあります。山村での起業は、手に職さえあれば明日からでもできるかもしれない(大事なことは、お客が来るかどうかということです)。つまり、田舎では信頼関係を築くことができ、体を動かすことができれば、何かしらの仕事に就くことができ、自分ひとりならば餓死することはないだろう、ということ。
山村に必要なのは、お金よりも人材。言い換えれば、多様な人たちがもたらす活気です。人が集まれば、何もかも食い尽くされてしまったように感じる過疎の進んだ地域に、おだやかに生気が戻るに違いありません。それは、子供たちの声であり、労働の対象としての山であり、農地から立ち昇る行く筋もの煙であり、メインストリートに点在する店先での世間話でしょう。
しがない個人事業主ではあるけれど、都市から移り住み、今山村で食っている自分のことを考えると、何の技能も持たない自分をここまで活かしてくれた多くの人の力を改めて感じます。その経験を思うと、田舎への移住を考えつつ悶々としている人が居るならば、「地域を愛することができるのなら、とにかくおいで」とそそのかしたい。あらかじめ人を頼りに飛び込むというのは良くないかもしれないけれど、「田舎は、やる気のある人は、ぜったいに見捨てないよ」とも。