起業から今日まで 「最初の数ヶ月」
大勢の人たちの助けを借りて、平成15年1月、なんとか法人設立までこぎつけることができました。
NPO法人を設立する場合「設立趣旨」の提出が法律で義務付けられています。この趣旨をまとめる作業は、長い事業運営の途中で道に迷ったとき、もういちどそれを見ることで方向を見定められるものにしようと、設立メンバー全員の書いた原稿を元にして、何度も確認しながら、時間をかけて行いました。
また、話が前後しますが、法人を設立する前の段階で、友人から「プレスリリースをしてはどうか」と薦められました。プレスリリースは、大きな企業のホームページを見ると目にすることができるものですが、私たちは、現状や新たな取り組みをメールによって地元新聞社に伝えることにしました。このプレースリリースが、後々ボディーブローのように効果を表すことになります。
設立して最初の数ヶ月は、理事長がそれまでの勤めを辞めての孤軍奮闘状態が続きます。事務所も、理事長宅のはなれを貸してもらうことにしました(未だにそこが事務所です)。基本的な事業管理データベースの組み立ても、この時期に理事長自らが行ないましたが、最初の一年はデータベースがなくても管理できる程度の事業量でした。
とにかく、自分たちが唯一持っている森林整備の技能を活かして、稼がなければなりません。いよいよ、近所の森林所有者をおじゃましながらの営業活動が始まりました。
今の材木の価格は「木を売れば儲かる」という時代のものよりも、かなり安いものです。したがって、お金や労力をかけてまで自分の山の手入れをしようという人は少なく、造林補助金という国と県からの補助金を利用しなければ手入れは進みません。
この補助金制度のことを説明しながら、少しずつですがチェンソーと体ひとつでできる「伐りすて間伐」から事業をスタートさせることにしました。補助金を活用するために欠かせないのが、AG(agent)と呼ばれる県の林業改良普及員の存在です。山の状況を見て、そこにはどのような整備が必要なのか。その作業にはどのような補助金をあてることができるか等を相談しに行くので、設立以来AGの皆さんの顔を見ない月はひと月もありません。
コメント
Posted by: somakudo [ 2006年6月13日 06:06 ]
今にして設立当初の事を思い出すと、
涙が出てきますね。よくぞ生き延びた。
人との繋がりの大切さを実感しましたね。
どこでどう、仕事に結び付くかわかりません。そして、自分達がある程度目立つ存在でないとダメですね。目立っていればそれ自体宣伝になりますからね。もっとも悪い意味で目立っては当然ダメですがね。
皆さん、いい意味で目立って自分自身を広告塔にしましょう。
somakudo