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そまびとたちの奮闘記

NPO法人信州そまびとクラブ。
山仕事をしながら、
林業のこれからの姿を提起します。

2006年6月26日

シカとの戦い

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 電気牧柵と呼ばれる柵のメンテ作業を請負っています。今年もその第1回目が終了しました。

 
 この柵は、シカなどが農地へ出て、食害や踏み荒らしをすることの無いように、高圧電流を流したアルミ線で集落全体を囲んでいるもので、私の暮らしている村では8集落すべてを、この柵が囲んでいます。

 
 村の基幹産業である高原野菜の出荷が忙しくなるころ、ちょうど柵の下の草が大きくなりはじめるのですが、草が線に触れてしまうと、電流が大地へ逃げてしまうため、柵がただの線になって、効果がなくなってしまうのです。また、林の中では、落ちてくる枝も、いたるところで線を切断しています。

 
 このため、忙しい村人に代わって、ひとつの集落で、線の修理と、全線の草刈などを信州そまびとクラブで、ひと夏に2回請負っています。総距離24キロ。どんな量か想像できますか?


 野生生物との戦いも、楽じゃありません。もっとも、戦っているのは私たちではなく、地域の人々ですが。

2006年6月21日

起業から今日まで 「最初の1年」

 作業を請け負いながら、さまざまな研修やシンポジウムにも積極的に参加しました。
 設立当初からの活動の様子を「これまでの歩み」と名づけて、箇条書きで信州そまびとクラブのホームページに掲載しています。今後は特徴のある事業にリンクを張って、報告のページに飛ぶようにしたいと思っています。


 最初の1年間、専従の職員は理事長と私の二名体制でした。法人運営と言うより、二人が食ってゆくためにバタバタしていただけの1年間だったように思います(今でもあまり変わりませんが)。この一年間に、長野県林業技能作業士の研修も受けました。


 林業技能作業士研修とは、別名グリーンマイスター研修。林業労働財団の助成により、林業労働に必要な専門的技能と、森林施業に必要な資格・免許等を一通り取得できる過程のことです。みっちりと林業の基本から学びなおすことができるだけでなく、修了者は、県の発注する森林整備事業の専門技術者となることが認められます。


 専従職員二名の体制で、二人同時に年間68日間の研修を受講するわけですから、実に忙しいスケジュールでした。
 勉強した内容が重要だったのはもちろんですが、ここでの出会いも大切なことばかりでした。以前からお世話になっていた、研修先の人たちが、独立開業後のことを心配して仕事の相談に乗ってくれたのは、言葉にならないほどありがたいことでした。


 研修の同期生は、同じ仕事に関係する者ばかりですから、皆さん、その後の仕事のやりとりや情報交換に欠かせない存在になっています。それを含めたエピソードは後にまわすとして、この一年で痛感したのは、世間は人と人の結びつきで成り立っていて、出会いそのものがチャンスであり営業活動なのだということと、多くの人の支えがあってこそ、起業が成り立つのだということでした。

2006年6月18日

皆伐請負

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  「これって林業なの?」と突っ込まれてしまいそうですが、こういう仕事も請負っている、ということで報告します。

 
 この4日間、宅地・・・たぶん別荘になると思う場所の伐採と、伐った木の造材、はい積みをやっていました。森をつくるという感覚ではなく、開発の先棒かつぎですが、こういう請負もありがたくやらせて頂く、というのが現実の姿です。


 倒した木は、すべて樹高20m超のアカマツでした。左に積んであるのが、細かく曲がっている部分で、依頼主がチップ材として出荷します。奥の長い材が、末口(すえくち:丸太の細い側)の直径が22cm以上の太い緩やかな曲がりの部分を4mや5mの長さに切ったもので、梁材として出荷される部分です。立木をバタバタと倒し、右に写っている重機でつかんで、積み上げてゆくという作業でした。


 木が、紙や建築に利用されるという点が林業ではありますが、その跡地が再び森にならないのが、残念な部分です。


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2006年6月12日

起業から今日まで 「最初の数ヶ月」

 大勢の人たちの助けを借りて、平成15年1月、なんとか法人設立までこぎつけることができました。
 NPO法人を設立する場合「設立趣旨」の提出が法律で義務付けられています。この趣旨をまとめる作業は、長い事業運営の途中で道に迷ったとき、もういちどそれを見ることで方向を見定められるものにしようと、設立メンバー全員の書いた原稿を元にして、何度も確認しながら、時間をかけて行いました。


 また、話が前後しますが、法人を設立する前の段階で、友人から「プレスリリースをしてはどうか」と薦められました。プレスリリースは、大きな企業のホームページを見ると目にすることができるものですが、私たちは、現状や新たな取り組みをメールによって地元新聞社に伝えることにしました。このプレースリリースが、後々ボディーブローのように効果を表すことになります。


 設立して最初の数ヶ月は、理事長がそれまでの勤めを辞めての孤軍奮闘状態が続きます。事務所も、理事長宅のはなれを貸してもらうことにしました(未だにそこが事務所です)。基本的な事業管理データベースの組み立ても、この時期に理事長自らが行ないましたが、最初の一年はデータベースがなくても管理できる程度の事業量でした。


 とにかく、自分たちが唯一持っている森林整備の技能を活かして、稼がなければなりません。いよいよ、近所の森林所有者をおじゃましながらの営業活動が始まりました。
 今の材木の価格は「木を売れば儲かる」という時代のものよりも、かなり安いものです。したがって、お金や労力をかけてまで自分の山の手入れをしようという人は少なく、造林補助金という国と県からの補助金を利用しなければ手入れは進みません。


 この補助金制度のことを説明しながら、少しずつですがチェンソーと体ひとつでできる「伐りすて間伐」から事業をスタートさせることにしました。補助金を活用するために欠かせないのが、AG(agent)と呼ばれる県の林業改良普及員の存在です。山の状況を見て、そこにはどのような整備が必要なのか。その作業にはどのような補助金をあてることができるか等を相談しに行くので、設立以来AGの皆さんの顔を見ない月はひと月もありません。

2006年6月 8日

十文字峠へ行ってきました

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有名なアズマシャクナゲの群落 標高2,000mの峠では今が花盛りでした

 昨日は、都内の自治体が持つ保養施設の宿泊客を対象に、山の自然案内に行ってきました。


 長野と埼玉の県境、秩父多摩甲斐国立公園の北西に位置する、標高2035mの十文字峠。アズマシャクナゲの群落で有名な場所です。ちょうど花の美しい時期にあたり、参加者はみんな大喜びでした。


 途中に生息する、ジュウイチやオオルリ、ルリビタキなどのバードウォッチングに加えて、この峠が交通の要衝であった頃の歴史解説などにも人気があります。


 でも、こういう時にさりげなく紹介したいことが森林全体、なかでも人工林のことです。山菜や花の紹介をしながら、話題はいつしかカラマツのことへ…。きこりが話す森の話は、ついつい熱が入ってしまうので、オーバーヒートに注意しなければなりません。


 今回もきっと何人かの人が、国産材愛好者になるキッカケを作ることができたと確信しているのですが、答えは秋のツアーのときのお楽しみです。

2006年6月 4日

総会が無事終了しました

 昨日は、信州そまびとクラブの年に一度の総会でした。


 今回は、議決権を持っている会員のほかに、県の林務関係の部署からもオブザーバーとして二人が参加してくださり、また県外からも、山仕事で起業準備中のグループが情報収集に来ました。


 毎年、この総会で報告し承認されたものを、NPO法人の事業報告書として県に提出します。自分たちで言うのも変ですが、回を重ねるごとに、その報告の中身が濃くなってゆきます。今年度からは、各事業種別ごとに


林業の施業全般に関わる事業
(支出計:2,663,226円)
森林を利用した環境教育と福祉増進に関する事業
(支出計:362,302円)
森林・林業に関する提言の事業
(支出計:119,498円)
市民が林業と森林への理解を深めるための広報事業
(支出計:20,181円)


 という具合に、人件費以外の細かい支出まで分類し、何にいくらかかっているのかを細かく報告することができるようになりました。全体的な収支計算書は、いずれホームページで公開する予定です。

2006年6月 3日

企業までの道のり(まずは自分のこと)その3

 サラリーマンを辞め、山仕事に転向する人には、さまざまなタイプや事情があります。そして幸運なことに私の出会った森林組合は、本当に良い意味で、多くのタイプの人にとって、とても居心地の良い職場であることに、私は後日気づくことになります(これをハッキリ言っておかないと、このあとの不器用な辛辣さをカバーできませんから)。


 どうやら多数派ではないと自分の状況を理解した頃、隣接する森林組合にアイターンした人から誘いがかかり、「とにかく一度みんなで情報交換をしませんか」という呼びかけで、4つの事業体から5人が集まり、最初の会合が開かれました。もとより、同じように山仕事をしている者どうしですから、おたがいのことを知り合うのに時間はいりません。乾いた砂に水が滲みこむように、皆の境遇を読み取ることができました。そしてしばらくは「情報交換」と称した、月に一度の「グチの言い合い」が続きます。


 日中の仕事はすべて肉体労働ですから、仕事が終わってからの集まりはそれなりの意義を感じるものでないと続きません。この集まりが、それだけで終わらなかったということが、職場への不満だけではなく、実行しなければならないことがあったことを意味しているように思います。業界に根強い、現場で働くものを「単なる労働力として、あたま数でしか捉えない」という習慣なども、その本質です。


 ちょうどその頃、岐阜で一足先に起業の準備をしていたNPO法人ウッズマンワークショップの主力メンバーが、私たちの会合に参加するためにわざわざ出かけてきてくれました。普通なら、こちらから教えを請うところが、先方からわざわざ来てくれるとは…、じつに幸運なことでした。実際に起業準備をしている先輩がもたらす情報は、私たちの法人設立の決め手となりました。また、時を同じくして、業界の複数の人たちが背中を押してくれました。「やるべきことがある」「あなたたちには技能がある」。そしてNPOならばすぐにでも設立できる、という条件が重なりました。


 県や、NPO支援をミッションにしているNPOが主催する、さまざまな勉強会に参加するなどして、1年近く準備を進め、いろいろな本からも情報収集をしました。中でもNPOの父と呼ばれている、P・Fドラッカーの著書は良い道しるべになりました。そんなこんなで、設立総会を行い、法人の登記を行うことができました。しかし、残念なことに皆が諸手をあげての船出、というわけにはいきません。自分の勤める事業体に気を遣い、離脱するメンバーも居ましたし、今となっては笑い話ですが「活動するならばクビ」と宣告され、そまびとには今後一切関わらない旨、一筆書いた者も居ました。既存の事業領域を侵すものへの、警戒心が原因だと思います。

2006年6月 1日

今日は市場に出荷です

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カラマツが積まれた東信木材センター バックは浅間山 右は選木機の入り口


 農産品や鮮魚に市場があるように、材木にも市場があります。このところ、ずっと自分たちが伐採した人工林の木を、トラックで市場に運んでいます。


 私たちが活動する長野県の東信地方と呼ばれているところは、冷涼な場所が多いため、人工林で育てられている木は圧倒的にカラマツが多く、この小諸市というところにある東信木材センターは、そんな地域色を反映して、カラマツの取引の多い市場になっています。


 かつては、土木用材の花形だったカラマツですが、近年では、建築用の内装材や構造材、また構造材のための集成材の材料としての用途を広げつつあります。カラマツの家具も、なかなか味のあるものです。


 どのぐらいの単価で買い取ってもらえるかの目安(あくまで目安!)は、長野県木材協働組合連合会のホームページ内の、地域別価格で確認できます。
http://www.logos.co.jp/kenmokuren/ugoki/tiikibetu.htm

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そまびとたちの奮闘記 「そまびと」とは「きこり」のこと。現代のそまびと=技能職員たちが起業し、模索しはじめました。

お知らせ

要林産のホームページ somabito.jp をどんなものにしようか、現在思案中です。なにか良い案があったら、ぜひコメントに書き込んでください

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