起業までの道のり(まずは自分のこと)その2
小さな子供二人を道連れのアイターン! 驚くべきことに、家内からは、山村に移住すること自体に大きな反対はありませんでした。しかし「危険を伴う林業」という点が問題になりました。学生時代のアルバイトから何度も現業を体験し、多くの危険な作業に接していた自分にとっては「稼ぐためには少々の危険はつきものであり、常に自分の身は自分で守るもの」という感覚が自然にしみついていたので、この家族の心配は意外なものでした。結局、この点については合意の無いまま、私の一方的な「想い」で移住に踏み切ることになります。
私自身に気がかりなことがなかったわけではありません。それは仕事のことではなく医療面、特に生まれたばかりの子供のことが心配でした。村に医療機関が無いわけではありませんが、それは内科専門の診療所と整形外科医院です。救急外来と小児科のある町までは、自家用車をとばして30分かかるということが、ひょっとすると子供の将来に重大な危機をもたらすかもしれません。結局自己満足かもしれませんが、最初の冬は(標高1100mの村の冬は厳しいので)単身赴任することで、この問題に決着をつけました。
山仕事をはじめた2年ぐらいは、体を慣れさせることで精一杯でした。体力には自信があったのですが、やはり30代半ばでの製造業からの転向は、かなりのギャップを伴いました。そして、日々山で触れる自然のこと。先輩たちの世間話。地域の人々のあたたかさ。等等、とにかく楽しいことばかりで、あっという間に数年が過ぎました。
でも、森林や林業のことを知るにつけ、職場での「もの足りなさ」が頭をもたげてくるのです。
みなさんは「材木が安くて日本の山が荒れている」であるとか、「山での働き手が少なくて林業が衰退している」ということを見聞きしいるかと思います。たしかにそれは事実なのですが、端的に表現してしまうと、この国の林業界に最も不足しているのは当事者の意識だと、私は働きながら考えるようになりました。
たとえば、農産物の輸入規制が解かれるとき、国内の生産者の言い分や抗議の姿勢がニュースで報じられます。しかし驚くべきことに、既存の体制や仕組みについて「ああしよう、こうしよう」という議論に、私は林業の職場の中で一度も接したことがありませんでした。そこには常に「問題はあるが、気にすることはない。明日も必ず朝が来る」という空気があり、移住組の同僚も、自然の中で暮らしながら安定収入さえ得られれば、材価のことも、この国の山の将来のことも関係ない、という者ばかりだったのです。
「何とかしなければいけないのではないか」と会議の席などでさまざまなお願いや提案をしましたが、ほとんど受け入れられることなく、やがては「こりゃ、あれこれ言う自分だけが異常なのかもしれない」と考えるようになりました。(つづく)
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