いろんな活動をするには、やっぱり、
カネがいります。
一人でやっている時には、
想像もしなかった事の一つに、
この社会には、補助金や助成金制度があるって、
事を知ったんです。
営利を目的としない活動に、公益性があるとして、
「公」が資金援助をしてくれる。
はじめは、非常に違和感があり、なんで、カネがもらえるのか
分からなかったんですね。
活動を続けているうちに、いろんな人や機関から、
補助金や助成金の制度を紹介されるようになってきました。
現に、今回の里山復交計画では、おおい町から
「都市農村交流モデル集落育成事業」として助成金を
いただいている。
森んこキャンプや竹スキーだは、「子どもゆめ基金」から
助成をいただいている。
その他に、林研グループとして町と県から、
放課後こどもプランから事業に対して、
補助をいただいている。
活動費の少ない私たちにとっては、ありがたい
支援なんです。
今回動き出した「老左近里山プロジェクト」では、
いままでにない、大きなカネが動きます。
で、あっちこっち、いただけるような支援金は、
ないかと、いろんな団体や機関をネットなんかで、
探したり、実際に、応募もしたししたんです。
でも、書類を作っている時になんだか、とっても、
違和感が出てきたんです。どうも、なんて言うのか、
空虚さを感じるんですね。
この姿勢は、あまり良くないやないかなあ。
私たちのやっている事は、公益性があるかないかは、
他人が判断するもんだよ。
あまり、自分たちの活動を、公正化すると、
偽善陥りやすい状況を作ってしまうんやないか。
善意や正義ほど、危ないものはない。
私たちは、あくまで、「自分たちがやりたいからやる」の
精神で貫いた方がいいやないか。
「世のため人のため」では、自由でなくなる。
もちろん、自由である事は、責任もある。
たんなる、我がままや傍若無人であってはならない。
この自由は、あの自由を奪う権利はない。
あの自由を奪って、この自由はあり得ない。
どこまでも、自由であるべきやと思います。
そうでないと「楽力」は、養えない。
補助金や助成金制度は、ありがたい制度です。
それは、間違いない。
しかし、その使い方を謝ると、危ない。
いつしか、自由を失ってしまいかねない。
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