12月3日は、カレンダーの日
今日は、カレンダーの日らしいです。
始めて知りました。
なぜかといえば、
明治政府が太陽暦を採用した日だからです。
旧暦の1872年(明治5)12月3日に
太陽暦採用により、明治6年1月1日になった日なのです。
この日を境に、太陰太陽暦は「旧暦」になったのです。
聖徳太子の時代から約1200年間つかわれていた。
太陰太陽暦が日本の歴史からプツリとなくなった日です。
偉大な文化財がなくなった日でもあります。
3日の福井新聞の「越山若水」には、当時の様子を
伝える文章が載っていました。一部を抜粋すると。
「太陰暦に代わって太陽暦が採用され、12月3日を
もって明治6年1月1日となった。11月に改暦の詔書
が出ていたとはいえ、師走に入ったと思った途端、
正月を迎えた▼「福井県史 近現代一」は大野郡民の
戸惑いを伝えている。「万民俄(にわか)之事ニ而(して)、
其(その)支度調(ととのい)不申(もうさず)」。そのため
氏神への参詣だけで済まし正月二十日に「跡正月」を
祝った-と▼庶民の混乱はその後も続いたとみられる。」
まさに生活革命です。
カレンダーの日に、日本の暦のことを考える
記念日としたいものです。
始めて知りました。
なぜかといえば、
明治政府が太陽暦を採用した日だからです。
旧暦の1872年(明治5)12月3日に
太陽暦採用により、明治6年1月1日になった日なのです。
この日を境に、太陰太陽暦は「旧暦」になったのです。
聖徳太子の時代から約1200年間つかわれていた。
太陰太陽暦が日本の歴史からプツリとなくなった日です。
偉大な文化財がなくなった日でもあります。
3日の福井新聞の「越山若水」には、当時の様子を
伝える文章が載っていました。一部を抜粋すると。
「太陰暦に代わって太陽暦が採用され、12月3日を
もって明治6年1月1日となった。11月に改暦の詔書
が出ていたとはいえ、師走に入ったと思った途端、
正月を迎えた▼「福井県史 近現代一」は大野郡民の
戸惑いを伝えている。「万民俄(にわか)之事ニ而(して)、
其(その)支度調(ととのい)不申(もうさず)」。そのため
氏神への参詣だけで済まし正月二十日に「跡正月」を
祝った-と▼庶民の混乱はその後も続いたとみられる。」
まさに生活革命です。
カレンダーの日に、日本の暦のことを考える
記念日としたいものです。