ことの始まりは、
集楽庵の裏山の竹林を整備したときに、
伐採した竹がたくさん出たんです。
スタードームを作ったり、
キャンプの器作りや
そうめん流しなどにも利用したんですが、
それでも、中途半端な竹が出てしまいます。
そのまま、腐らせてしまうのももったいないし、
林内が何となく汚くなります。
で、竹炭にしてしまったらどうだろうか
と思ったのです。
で、どうすれば竹炭を作ることができるか
といろいろと調べたり、
いろんな人に相談しているうちに、
県職員のFさんから、いい支援の話を
していただけました。
全国林業研究グループ連絡協議会から
林業従事支援事業の一環として、
炭焼き体験を指導するということなら、
補助が得られるとの返事をいただきました。
早速、地元の炭焼き職人のKさんに相談したところ、
それくらいの予算なら、小屋とドラム缶を利用した
炭小屋と窯ができるし、
それを、一から作るようにしたら、
炭焼きのことがよく理解できるし、
ある程度の技術習得にもなるのとの
返事をいただきました。
指導は、Kさんに全面的にお願いしました。
現実にできそうです。
炭焼きの釜を作りたいと思ってから、
2年の月日が流れていました。
あきらめずにコツコツ続けていくことは、
大事です。
今日は、カレンダーの日らしいです。
始めて知りました。
なぜかといえば、
明治政府が太陽暦を採用した日だからです。
旧暦の1872年(明治5)12月3日に
太陽暦採用により、明治6年1月1日になった日なのです。
この日を境に、太陰太陽暦は「旧暦」になったのです。
聖徳太子の時代から約1200年間つかわれていた。
太陰太陽暦が日本の歴史からプツリとなくなった日です。
偉大な文化財がなくなった日でもあります。
3日の福井新聞の「越山若水」には、当時の様子を
伝える文章が載っていました。一部を抜粋すると。
「太陰暦に代わって太陽暦が採用され、12月3日を
もって明治6年1月1日となった。11月に改暦の詔書
が出ていたとはいえ、師走に入ったと思った途端、
正月を迎えた▼「福井県史 近現代一」は大野郡民の
戸惑いを伝えている。「万民俄(にわか)之事ニ而(して)、
其(その)支度調(ととのい)不申(もうさず)」。そのため
氏神への参詣だけで済まし正月二十日に「跡正月」を
祝った-と▼庶民の混乱はその後も続いたとみられる。」
まさに生活革命です。
カレンダーの日に、日本の暦のことを考える
記念日としたいものです。
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