老子・荘子を読む
予期しない生活を強いられると、
予期しない事に興味がわくもので、
突然、老子や荘子を読んでみたくなった。
もちろん、老荘思想とか、道教とかいう
言葉は、聞いて知っていた。けど、
その内容は、全く知らない。
じゃあ、なんで、こんな時に、
老荘なんだというと、ただ、なんとなくとしか
言いようが無い。
で、何冊か図書館で、借りて来て読んでみた。
よく分かんない。うーんと唸るだけ。
自然のまま、「無為」が「道」?で、
なにも、しない事が、最上の事?
う、違う。え、何が? お、え、へえ。
時間に任せて、何冊か読んでみたけど、
結局何も、分からなかった。でも、
何も分からないので良いという事でもあるみたい。
じゃあ、それでいいやんって、事のなる。
いろんな事を考える人がいるもんだ、ということは、
良くわかった。
般若心経を読んで「空」という考え方が
あるのを知った時も、面白い事を思いつくもんだと思った。
それから、何年も「空」を気にしていたら、
なんと、「そうか。そういう事か。」って、思う時が
あるようになった。もちろん、うまく説明できないけど、
なるほどねえ。こう思うのが「空」って、事かなあ。なんて、
ひとり合点する時がある。
老子の「道」とか「無為」とか言うのも、
「空」に似ているような事が書いてある。
でも、何か違うような感じもする。
とっても、不思議な感覚に包まれる。
人の頭のなかって、ほんとに不思議だと思う。
骨を折らないと、こんな時期にこんな思いには、
出会わなかったと思う。