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トップページ > 農山村の背景情報 > 山で生きる・森をつなぐ仕事<part.4>

農山村の背景情報

11_技術には限界がないですなあ・米井六郎さん(智頭林研/鳥取県智頭町)

20081110_1.jpg 立木の根元の地面をユンボのバケットが浚(さら)う。埋もれていた古い根株が引っかかり、ユンボの本体がガガガッと揺れた。見ているこちらは思わず手に力が入るが、操縦席に座った米井さんは平然と操作を続ける。ユンボのアームの動きは滑らかで、作業は淀みない。根の両脇を掘られた胸高直径20cm程のスギをバケットで一押しすると,あっけなく傾いた。こうして根こそぎに倒した支障木は玉切り、作業道の基礎に埋め込まれる。「体力は昔より落ちたけど、機械に乗ればまだまだ仕事は出来ますな」と米井さん。4年前、林研の講習で作業道作りを習った当初は、自分に操作できるとは思えず、ただ眺めていた。林研活動の中で作業道の有用性を確信し、1年程してユンボを操作。思いのほか性に合った。自分で植えた木をちゃんと使えるようにしたい一心で道づくりに熱中し、馴れた今は1年に一人で400m程延長できるようになった。持ち山に仲間と共に開いている道は、昨年は1500m、今年は700mに及ぶ。
 学校を出て製材所に務めた。戦時統制品の木材を扱う会社だったので、戦後は解散。父親が始めた植林会社へ移り、素材生産と植林を手掛けた。拡大造林の最盛期で、とにかく市場に苗が不足する。それなら作ろうと始めた苗作りが仕事の主体に。「当時は年間10万本を作ったですかな。今の持ち山はほとんど自分で作った苗で植えた山です。それだけに、安くは売りたくないですな」と米井さん。32歳の頃父親が亡くなる。山仕事の資金作りのためにと「背水の陣をしいて」ガソリンスタンド経営を始めた。以来45年間はスタンド経営が主体に。合間に持ち山の下刈りや間伐も続けてきた。林研にも設立当初から参加したが、現役中はなかなか本腰を入れられない。家督を譲ってようやく本来やりたかった山に集中できる環境になった。目標は持ち山全体に高密路網を作ること。ユンボを得て可能性が広がったが、山仕事の技術は奥が深いと改めて感じている。
(『林業新知識』2007年12月号より/絵と文・長野亮之介)

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