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トップページ > 農山村の背景情報 > 山で生きる・森をつなぐ仕事<part.4>

農山村の背景情報

02_百年後に残る山造りをしたい・田中勝己さん(広葉樹植林研究家/北海道士別市)

20081110_10.jpg 離農した集落跡地に田中さんの私設実験林が設定されている。約80町歩の原野に自力で道をつけ、伐採に地拵えに植林。重機を使った一人だけの作業で、年に10町歩手掛けたことも。ここに針広様々な樹種を満遍なく植えた。特にミズナラ、ヤチダモ、ウダイカンバなどの広葉樹造林に力を入れている。中でもハリギリには注目してきた。「大径材になればヘタな針葉樹の何十倍も価値がある銘木なんやけど、生態が判っていない。植えた苗の何割かは、凍って枯れる。こんな木は北海道にも他にないよ。だから面白いんや」と田中さん。防寒用に布を被せた苗も、エゾマツの下に寄り添わせて植えた個体も、試行錯誤の過程を表している。
 実験林のある幌加内町は道内でも有数の極寒の地。かつては零下30度以下も珍しくなかった土地だ。田中さんはここに育ち、15歳で地元の林業会社に勤める。素材生産から現場で徹底的に叩き上げ、70年代から80年代にはパルプ資源調査のため海外の林業事情を広く見聞した。その中で日本林業界の産学官の有り様に様々な疑問を抱くように。補助金・助成金に依存する産業形態の脆さも予感した。危機感がつのり、バブル期に故郷の土地を購入したのがライフワークの始まりなのだ。自家山林の「開拓・研究事業」は66歳で会社を辞めてからのスタートで、これまで12年間。一年300日以上は山に通うというその情熱と行動力には驚く。
 広葉樹育成の先にあるのは、ムダのない山造りと言う青写真。林業は時間の掛かる産業だから、どうしても経済価値の変動に影響される。それに振り回されないためには、ある程度放って置いても価値の出る山造りを計画するべきだというのが田中さんの持論だ。そのモデルとなるのは原生林の成す針広混交林だと言う。国際市場でも通用する銘木樹種を選択的に大経木育成するために、地域に合わせた山造りのシステムを作っていくのが夢だ。
(『林業新知識』2008年2月号より/絵と文・長野亮之介)

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