02 オレは馬がいねばダメだ・菊池盛治さん(遠野地方森林組合搬出班長・馬搬馬方/岩手)
ペルシュロン種はフランス原産の農耕馬。約一tもの体躯(たいく)が、狭い山の中ではことさら巨大に映る。ツルハシを改造した独特なトビを自在に扱い、集材に汗を流す盛治さん。その姿を横目に「盛号(さかりごう)」は悠々とササを食む。まるで主従が逆のようだ。
盛治さんは木口をバチ(橇)に乗せると、チンチョという鈎(かぎ)を打ち付ける。こうして40年生のスギ丸太を15〜6本も寄せ、ワイヤーで結策すると、ようやく馬の出番だ。「チョーイチョイ」と言う盛治さんの小さな声に敏感に反応し、盛号が足を踏み出すと、優に数百㎏はあろう荷が軽々と動き始めた。前に立つ盛治さんは手綱を引き、馬が歩きやすいように先導する。雪が少ない冬だが、返って伐木を掘り起こす手間が省けて良いそうだ。「今日みてえな平地なら、2日でトラック一台くらい出すな」と盛治さん。胸を張って歩く姿が誇らしげだ。
親が馬方だったので、16歳から当たり前のように馬方を始めた。まだ重機も道も無い時代、牛馬など家畜による運材は今の大型機械に匹敵する技術。当時馬方は、馬の稼ぎ込みで、人夫の3倍は稼いだ。それだけに大事な相棒である馬には気を遣う。30㎞以上も先の遠い現場でも基本的には乗馬せず、7時間かけて歩いたことも。昭和50年代半ばまでは馬方も多く、現場は人馬で賑やかだったそうだ。
馬方は概ね2〜3年程で馬を換える。盛治さんもこれまで20頭ほどの馬を使ってきた。しかし先代の「花盛号」とは相性が良く、老衰で死ぬまで17年間手放せなかった。「葦毛(あしげ)だったのが真っ白になって綺麗だったな」と盛治さん。まだ一カ月のつきあいの盛号も葦毛なので、将来が楽しみだ。「馬は手間がかかって大変だけど、オレは馬がいねばダメだ」というつぶやきが印象に残った。(絵と文・長野亮之介)