自然に生かされている
岡信一さん(愛媛県久万高原町)
瀬戸内に面する松山市と隣り合うが、三坂峠を越えて久万町に入ると気候も風景も一変する。
愛媛県久万高原町を中心とする「久万林業」の歴史は、明治のはじめに吉野系の苗木が持ち込まれて始まった。久万町は地域をあげて林業振興に取り組む町として知られ、篤林家も多い。岡信一さんもその一人。岡さんは、林業を自分自身が素直に生かさせてもらう、最上の職業だと感じている。
■林地は預かりもの
「『林地は預かりものと思え』、とは、ずっと先祖から言われてきていることですね。自分自身のものと思ってしまうなと。たまたま私がこの家に生まれて、山を管理させていただくことになっているだけであって」と岡信一さん(55歳)。岡さんは愛媛県上浮穴郡久万町の専業林家である。
「山の木を切らせていただいて私どもの生活費もいただいておりますけど、その過程には伐採搬出の森林組合作業班や職員、製材所の方々がみんな関わって、1本の木から生活させていただいているのですから」
岡さんの林業経営は、まず地元・久万町ありき、である。伐採・搬出は久万広域森林組合に依頼し、材も森林組合の市場で販売する。
「林業は駅伝競走みたいなもので、前の者が一生懸命走ったら、次にたすきを受けた者が全力で一生懸命走る。そんなものじゃないですか」と話す岡さんの考えには、先代の譲さん(故人)の思想が色濃く反映している。
譲さんは戦後、地区の初代の公民館長を務めた。その公民館活動は産業活動を中心にした特色のあるものだった。面積の8割以上が山林というこの地域で、農家が所有する小規模な山林から林業収入を得ることができないかと、先代は林業の立場から地域おこしに関わった人だった。
そうした譲さんら久万地域の篤林家の施業記録を元に、大学などの研究機関、行政、大勢の林業関係者が協議してまとめたのが、昭和44年作成の「上浮穴地方育林技術とその大系」である(次ページは「上浮穴地方育林技術体系図」・昭和62年改訂版)。年輪幅を間伐と枝打ちによって管理し(スギで3㎜程度)、1本の木から柱材2玉を収穫した後、良質大径材の生産を目指す育林技術を啓蒙普及し、久万林業の主産地化、銘柄化をねらったものだった。
■生かされている
「若い頃は父の言うことは反発の材料にしかなりませんでしたが、今は言うことがそっくりになってきたと家内にも言われます。頑固さも含めて(笑)」と岡さん。
「若い頃は『自然と共生する』ぐらいの気持ちでしたが、だんだん歳をとって今は『自然に生かされている』という気持ちが強いです。本来、私どもが木を育てるのではないんですね。木が育つのをお手伝いさせていただくんですね。そうなるとやはり森林に関わることで、生かさせていただくということになるんではないでしょうか」とあくまでも謙虚である。
「作業路の開設にしても、県道からいきなり私の山に行けるわけでなく、何人もの方の山を通らせていただかなければ行けない。今はその方々も『できるだけ山をよけいに通って出しやすいように道を付けてくれ』と言われるが、当初はそうではなかった。つまり自分一人だけで成り立つということではないんです。地域の人間社会の中でもお互いに協力し合うことで『生かされている』と思います」
■条件のよい林地で複層林
岡さんが所有する山林112haのうち用材林は100ha(スギ57ha、ヒノキ43ha)。優良材の生産を目標にしている施業地が半分、残りからは一般材が生産される。
用材林の約2割が複層林仕立てとなっている。いずれも自宅から近く、路網、勾配や地味などの条件の良いところである。
複層林は岡さんの家の経営から自然に導き出されたものだ。所有林は壮齢林が10数%、戦争の影響で50〜60年生がなく、昭和20年代後半から30年代に拡大造林された林が多い。
「齢級配置が非常にアンバランス。先祖が植えた林を戦後に植栽した林につなげていくとなると、皆伐はできません。林業で暮らさせてもらっているわけですから、伐らないわけにはいかない。それで壮齢林の間伐の繰り返しで、空間ができたら下層植栽をして、必然に複層林ができていったわけです」
岡さんの収入の9割以上が林業からである(水田70a、畑20aは自家消費)。年間の伐採量は、複層林の上層木などの優良材の伐採年(8〜10年周期)には200〜300‰、一般材の伐採年では700〜900‰になる。
■長伐期大径材生産展示林
岡さんに複層林を案内していただいた。ここは上浮穴林業振興会議が設置した「長伐期大径材生産展示林」。複層林のモデル林である。岡さんのご自宅からは車で5分ほどのところにある。
この林は、明治13年に岡さんの曾祖父が吉野系の苗木をha当たり3000本植えたのが始まりで、その後も次々に植えられ林齢はさまざまになっていた。
昭和39年に50〜60年生だったスギ・ヒノキ林に枝打ちが行われた。優良材生産を目指し、かつ複層林に移行させるために林床に光を入れるためである。同年11月に一斉林としての最後の間伐で本数の36%を伐採し、翌40年春にha当たり4200本の苗木が植栽された。
苗木は品種適応試験を兼ねてヤナセスギ、サンブスギ、地スギが植えられたが、サンブスギが昭和62〜63年に冠雪害を受けて減少したため、他にも各種の品種が植栽されている。
複層林内の照度は、下木が年に30㎝成長するくらいがちょうど良いという。また指標植物として、林床にチジミザサがあるようだと少し暗く、ハイゴケでは暗すぎる。ササユリ、ゼンマイが生えれば、照度は適当であるという。
現在、この林は4層からなっていて、上層木は吉野杉系。2層目がヤナセスギ、3層目がシバハラ(京都北山)、4層目は天然絞の系統である。地元の小学生の林業体験で植えた場所もある。祖父の代から複層林内にはスギ・ヒノキの成長を多少阻害しても、クリ・ケヤキ等の広葉樹が残されている。
■上層木伐採後8年で材積は回復
上層木は展示林が設定された昭和50年から、おおよそ8年ごとに伐採されている。毎回研究機関の協力で毎木調査され、本数で30%、材積で25%程度の収穫量となる。
残された上層木は成長し、8年後に調査すると材積は伐採前の状態にほぼ回復しているという。
「プラス下木の成長があるでしょう。山全体の材積としてそんなに減ることがなく。恒常的に収穫をあげることができるわけです」
複層林では上層木の伐倒で下層木に被害がでるのでは?と尋ねられることが多いそうだ。
「調査によると上層木の伐倒による下層木の被害は5〜10%。ただ研究のためなので、枝が折れたような場合にも被害となっています。枝折れ程度は大きな被害ではないので、下層木の被害は心配はしていません。たとえだめになっても、後で植えてやればいいですから」
展示林では一昨年(平成10年)にも上層木の伐採があった。林内に残るその大きな伐根には、等間隔で年輪が刻まれていた。倒された方向を見ると見事に木々の間を抜けていたが、それでも、2層目の木の梢が無くなっているものがあった。岡さんによればその木も、枝下が充分材にできるので、問題にはしていないということである。
複層林は伐採経費が割高となるので林道や林内作業車路網(道幅は2m程度)の整備は欠かせない。
モデル林の上層木の伐採、搬出では、昭和40年には架線集材、50年はブルドーザーで引き出された。
岡さんは昭和50年代中頃から林内作業車路網の開設に努めたため、58年の伐採では林内作業車に積み込んで搬出された。
現在、岡さんの林内作業車路網はha当たり250mから、場所によっては400mも開設されているそうだ。路網は伐採する木に向かって延ばされる。
「木寄せ作業というよりも、『道寄せ』作業です」
■複層林造成が目標ではいけない
10年ほど前から複層林造成ブームで視察が相次いだ。視察を受け入れて、何のための複層林施業を行うのかという経営の目標が明確でないところが、岡さんは問題であると感じている。複層林造成が目標では本末転倒である。複層林を導入するには、経営目標の明確化が大切であるという。
「林業はスパンが長い。その中のごく一部を見て、複層林を見たのだと帰られても、それが視察をした方の地域で定着するとは思えません。私たちの地域は、四国でも標高の高い地域ですから、雪害に遭うことがある。雪害に遭った山、台風による風倒木など、私たちの負の部分はあまり見られません」
一方で岡さんの身が引き締まるのは、次のような視察だ。
「作業服で地下足袋を履いて視察に来られる方が一番怖いです。自ずとその方にあわせて案内をさせていただいています」
■林業の魅力とは
「近年、自然保護、環境問題が論議されてはいるが、現代社会の『個の自立』などと言う前に、人間としての分をわきまえる生き方を学ぶことが大切ではないか。林業という仕事は自分自身がもっとも素直に生かさせてもらう、最上の職業であると感じている。そのため、次代を担う子どもたちに自然への感動、畏怖を伝えたい」
昨年(平成11年)4月に町内の中学校を統合して開校した久万町立久万中学校の建設では、一抱えもある長尺の丸太が167本も必要になったが、丸太はすべて町内の林家から無償で提供された。
「提供のお願いに行った先で1本選木させていただいたら『スギ1本だけでええんかな。他にもいるんじゃないのかな』と言われて、もう1本いただいた。『長年育ててきた木ではあるけど、子どもたちの学校のために使うんだったら本望よ』と言われて涙が出るくらいうれしかったです」
町では、町の産業への理解を深めるために中学生を対象に林業教室も開催している。岡さんも地元の小学校の先生の依頼で林業体験を行っている。感じるのは久万町のような農山村の子どもたちでも自然体験が少ないということだ。
「木登りとか、このスギの種が百年経つとこんなに大きくなるんだよとか、実際に林業体験をすると非常に面白がる。父兄の協力で飯盒炊さんをして子どもたちに食器を山で探してもらうと『おじさん、この葉っぱの食器と箸をうちに持って帰っていい』とか言うんです(笑)。その感動とか、自然に対する畏怖とかを伝えるために、子どもたちの学習の場に林業を取り入れることを何とかやりたいです」