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トップページ > 農山村の背景情報 > 山で生きる・森をつなぐ仕事<part.4>

農山村の背景情報

12_山には希望がある・野表忍さん(農林複合経営・西川林業グループ会長/北海道新ひだか町静内)

20081110.jpg 自宅を対面に見下ろす丘の上に野表さんの持ち山の一部、約3町歩のカラマツ林がある。18年ほど前、真苗夫人との結婚を機に、夫婦で3年ほどかけて植林をした。「父の代に植えた40年生の木を皆伐したけど、下が田んぼだから材を落とせない。しょうがないから農業用トラクターで一本一本引き上げて出し、その後自力で地拵えをして、植えた場所なんです」と忍さん。既に間伐を2度、枝打ちも4mまで済ませた。この山は50年伐期ほどに設定。あと数年で本数調整を終わらせる予定で、収穫を楽しみに「老後の山」と呼んでいる。ほかにもう少し齢級の高い「学資の山」など、伐期と使用目的を決めて命名し、手入れの励みにしている。「材価が安くても、山はいつも未来への希望があるから楽しいね」。
 忍さんは次男だが、兄が進学したため、高校を出てすぐに家業を継いだ。野表家の経営主体は父が始めた軽種馬生産と稲作だが、山仕事には特別の思いがある。一年単位で結果が出る馬や米は成果がすぐに手元から離れていく。長期間手をかけ続けられる山仕事は、自分の足跡を確認するための拠り所だ。全部で約11町歩の持ち山は大半が戦後に購入したもので、忍さんの代に買った山も多い。
 山仕事に惹かれたのは、父親の影響が大きい。森林率の高い当地は合板、チップなどの木材加工業も栄えた土地で、かつては「冬稼ぎ」という冬山造材が農閑期の収入源だった。そうした山仕事に従事する父の姿の記憶もあり、父の山好きを受け継いだと感じている。忍さんも子どもたちが小さい頃から山に連れて行った。そのせいか二人とも山が大好きなのが一番嬉しい。「今は地方競馬の景気が悪くて、今後の経営をどうするか難しいところだけど、山仕事という生き甲斐を軸に頑張りたい」と忍さん。道内で一番歴史の古い西川林業グループの会長や道林研の副会長も務め、これからも山づくりの展望を開く先頭に立っていくつもりだ。
(『林業新知識』2008年1月号より/絵と文・長野亮之介)